概要
ことば | プラセボ反応 |
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よみがな | ぷらせぼはんのう |
英字表記例 | placebo response |
意味
プラセボにより引き出された患者や被験者の反応。あるいは、プラセボによって引き起こされた何らかの変化の総称。
プラセボ反応の2つの意味
プラセボ反応ということばは、少なくとも2つの異なる意味で用いられています。
効果ではなく、反応
「プラセボ効果」ということばは、プラセボ自体に効果があることを含意しています。
しかし、プラセボ自体に効果があるわけではありません。
プラセボ自体に効果がないとすれば、プラセボが用いられる環境や関係性などの背景的要素が患者や被験者に変化を起こさせるのだと考えるほかありません。
このとき、「プラセボ効果」よりむしろ、そうした背景的要素への反応という意味を強調して「プラセボ反応」ということばを用いる場合があります。
変化の方向性を不問にする
プラセボによる変化には、望ましいものばかりでなく、望ましくないものもあります。
望ましい反応を含意する「プラセボ効果」に対し、望ましい反応だけでなく望ましくない反応をも含む総体的な事象として「プラセボ反応」ということばが用いられることがあります。
なお、プラセボにより引き起こされる望ましくない効果は「ノセボ効果」と呼ばれています。
プラセボ反応という言葉は、プラセボ効果とノセボ効果をひっくるめ、価値判断を含む反応の方向性を敢えて問わずに反応の存在そのものに着目しようとする際に用いられることがあります。
なぜプラセボに反応するのか?
プラセボに反応する理由は様々なモデルを用いて説明が試みられていますが、決定的ではありません。
そもそも、あらゆる医療周辺行為・事象がプラセボになり得るため「何がプラセボか?」すら原理的には判断できないという方法論的難しさもあり、解明にはさらなる研究が求められています。
プラセボ無反応に対する言及
プラセボ反応やプラセボ効果は、効くはずのないプラセボが効いたという驚くべき現象に与えられた名前です。
この現象を驚くことができるのは、「プラセボは効くはずがない」という暗黙の前提があるためです。
でも、本当に「プラセボは効くはずがない」のでしょうか?
説明原理としてのプラセボ効果
「プラセボは効くはずがない」という前提は、科学的説明のつかない物事に対する人間の、ある意味では傲慢な価値判断に基づいています。
「プラセボは効くはずがない」という前提は、プラセボ効果を低く見積もるバイアスがかかった解釈でしかありません。この解釈の内でしか、「効くはずのないものが効いた」という事象に驚くことはできません。
しかし私たちの実感を離れて、このように驚いてみたっていいはずです。
「プラセボは効く。なのに、プラセボに反応しない人もいる」
無反応に驚く
数字のゼロの歴史が教えてくれるように、ヒトは無について考えることが得意ではありません。
無いものを明示的に表現しようとする試みが難しいのは、それが思いもよらないものというより、むしろ扱いづらさに対する生理的な不快感を伴っているからです。
厚生労働省もFDAもWHOもプラセボ効果の存在を前提とした科学的枠組みを採用しているように、現代社会は既にある種の無であるプラセボとその効果を広く認めています。
ならば、「科学的には説明できていないけれど、確かにプラセボは効くことがある」という事を前提に物事を捉え、発想を転換させてみても良いでしょう。
プラセボ反応を科学的に解明した先にあるもの
プラセボ反応を科学の言葉で説明することができた時、プラセボに対する無反応も同時に解明されているのでしょうか?
「プラセボはもともとが効かないはずだから、プラセボに対する無反応など当然すぎて言及する必要すらない」といった素朴な発想は、プラセボ反応の一面を敢えて見ないようにしているのではないでしょうか?
「なぜプラセボに反応するのか?」と同じくらい、「なぜプラセボに反応しないのか?」も重要な問いです。
この問いに対する答えは、「なぜ効果があると確かめられた薬に反応しない人がいるのか?」というより実際的な問いに重要な示唆を与えるかもしれません。