概要
ことば | プラセボ効果 |
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よみがな | ぷらせぼこうか |
英字表記例 | placebo effect |
表記ゆれ | プラシーボ効果 |
意味
科学的に説明不可能な望ましい変化の原因。特に、医療における説明不可能な治癒事象の原因。
説明上の便宜のために創造された説明原理。
科学的に説明不可能な治癒現象
薬効成分を含まない偽薬を服用しても、効果はない。
そのように考えるのが合理的で理性的な態度に思われます。何より、すごく自然な考え方だからです。
しかし、事実はそうではありません。
- 薬効成分を含まない偽薬の服用
- 思わせぶりに出された砂糖水の飲用
- 切り傷を少しつけただけの偽手術
- 患者に対する医師や看護師の自信に満ちた親密な態度
- 医師に対する患者の信頼感
- 高価な医薬品に対する患者の期待感
上記のような行為や想念によっても、時に身体的あるいは精神的変化を起こすことが広く知られています。
この科学的には説明不可能な治癒現象を一つの概念として共有するために、以下のような物事に与えられた名称がプラセボ効果です。
- 説明不可能性そのもの
- 眼前に現れた不可解な治癒現象を肯定的に説明する必要に迫られ、創造された説明原理
説明原理とは、説明するという目的のために創造された便宜的な概念です。
説明原理は、説明不可能性という特徴を、言語を用いて、論理的に言い表すために必要とされます。
暗示的効果
プラセボ効果は歴史的に、患者に対する治療者の暗示の効果と理解されてきました。
特に白衣をまとった現代の呪術師たる医師の行為は重視されているようで、日本国の医師法第22条には「暗示的効果」という文言が含まれています。
第二十二条 医師は、患者に対し治療上薬剤を調剤して投与する必要があると認めた場合には、患者又は現にその看護に当つている者に対して処方せんを交付しなければならない。ただし、患者又は現にその看護に当つている者が処方せんの交付を必要としない旨を申し出た場合及び次の各号の一に該当する場合においては、この限りでない。
「医師法」より抜粋
一 暗示的効果を期待する場合において、処方せんを交付することがその目的の達成を妨げるおそれがある場合
二 処方せんを交付することが診療又は疾病の予後について患者に不安を与え、その疾病の治療を困難にするおそれがある場合
三 病状の短時間ごとの変化に即応して薬剤を投与する場合
四 診断又は治療方法の決定していない場合
五 治療上必要な応急の措置として薬剤を投与する場合
六 安静を要する患者以外に薬剤の交付を受けることができる者がいない場合
七 覚せい剤を投与する場合
八 薬剤師が乗り組んでいない船舶内において薬剤を投与する場合
該当箇所は「暗示的効果を期待する場合において、処方せんを交付することがその目的の達成を妨げるおそれがある場合」と記載され、医師は治療上必要であれば処方箋を交付することなく偽薬を用いてよいとされています。
日本国内の法体系は「暗示的効果」すなわち「プラセボ効果」の活用を是認しているようです。たとえそれが科学的には不可能でも、有用であれば。
プラセボ効果の科学的解明
科学的説明を拒む治癒現象は奇跡や偶然と呼ぶにはあまりにも頻繁に医療現場で認められたため、未来のある時点で科学的に解明し得る生理現象として、慧眼の科学者たちが「プラセボ効果」という特別な名前を与えました。
科学的に説明不可能であるというプラセボ効果の性質は、未だ科学的に説明できていないだけだと捉えられています。
プラセボ効果は未だ説明不可能性のベールに覆われたままですが、その現れ方や頻度はとても多様かつ多岐に渡ります。
プラセボ効果の有効活用が医療そのものを変える可能性を秘めているため、医学、薬学、その他、多くの自然科学者および社会科学者が研究の対象としています。
研究すべき課題の一例
プラセボ効果にまつわる興味深い例を一つ挙げましょう。それは、以下のような偽薬の特徴の違いが、治癒現象自体の違いとなって現れるという現象です。
- 剤型
- 形状
- 色
- 匂い
- 価格
- 服用方法(個数、日時、回数など)
錠剤よりは注射が、注射より手術の方がプラセボ効果は現れやすい。つまり、効きやすいプラセボが存在しているということです。
より効きやすいプラセボとはどのようなものか。全人類共通のものでしょうか。それとも個人レベル、あるいは生活環境や文化背景によって異なるのか。
もしそうしたことが明らかになれば、オーダーメイド・プラセボ医療の実施が可能となるかもしれません。
プラセボ効果と思い込み
プラセボ効果って、ただの思い込みなんでしょう?
プラセボ効果が思い込みの効果だとすれば、意識的に思い込むという行為だけで効果が出てもおかしくはないでしょう。
ところが、思い込むだけで変化を実感できるほどの身体的、あるいは精神的効果が現れることはあまりありません。
何らかの具体的な治療行為(診察および診断時の示唆的言動、偽薬投与・摂取、偽手術など)を介してしか、効果は現れないのです。
一体どうしてでしょうか。
「思い込む」ことの不可能性(=ヒトは思い込むことが苦手である/できない)を示しているのでしょうか。被治療者としての役割を与えられ、それをうまく演じることが出来なければ効果は現れないのでしょうか。はたまた、「信用」や「信頼」や「仮託」の介在が素直な思い込みの達成に必要なのでしょうか。
答えの出ている問いではありませんが、考える価値は十分にあります。
思い込みに関する試論
一方で、思い込みという言葉は単なる便宜的な説明にすぎず、見かけ上の納得感を提供しているに過ぎないと考えることもできます。
試みに、説明不可能な治癒現象に対して、思い込みという言葉による説明がどのような経緯で出てきたものなのかを想像してみましょう。
説明や解釈は、言葉によってなされます。よくわらない言葉は、自分に理解できるものへ順次置き換えることで理解が促進され、ついにはわかる言葉となるはずです。
言い換えの連鎖、という観点で思い込みの効果という説明の成立過程を考えてみます。
言い換え連鎖0:説明不可能性
まずは現象そのものをできる限り実直に捉えた「説明不可能性」から考えてみます。
説明不可能性という言葉が持つ否定的なニュアンスには非常に強いものがありますが、この核心部分を常に念頭に置きつつ別の言い換えを見てみましょう。
言い換え連鎖1:非特異的効果
説明不可能性と同様に否定のニュアンスをもつ「非特異的効果」は、説明不可能性の言い換えとして用いられることがあります。
接頭辞「非」によって否定されてはいますが、「効果」の語を用いることにより若干でもポジティブなニュアンスの獲得に成功しているように思われます。
言い換え連鎖2:プラセボ効果
さて、非特異的効果の段階は「プラセボ効果」そのものです。プラセボ効果の語には、否定的なニュアンスを含みません。全き肯定感を有しています。
実はこれがイノベーションというかイノベーティブな言い換えとして作用しており、『「プラセボ効果」のプラセボ効果』を生み出しているように思われます。
というのも、否定的な意味合いを有する概念でも、表記の上で肯定的な言葉を当ててしまえば肯定的に解釈され得るためです。
ここに説明原理としての有用性の本質、すなわち納得感という価値提供をみて取ることができるでしょう。
神との対比、科学の認否
このことは、対照的かつ強力な説明原理である「神」や「奇跡」を持ち出すとはっきりするかもしれません。
説明不可能な事象に対して、すべてを説明するものとしての「神」あるいは「奇跡」といった概念・原理を創造してしまえば、あとはそれに当てはめるだけで説明は完了し、納得できてしまいます。
しかし、科学(これもまた説明原理ですが)による説明を求める時、「神」や「奇跡」は宗教者の戯言として捨て去らねばなりません。ただ同時に「わからない」や「未解明だ」とする否定的な説明もまた受け容れがたいものです。
では、どうするか?
人類が見出した答えは否定的概念を「プラセボ効果」としてパッケージングし肯定的表現に転換してしまうアクロバティックな解決策でした。
言い換え連鎖3:思い込み効果、その他
これまでに見てきたような言い換えは、本質的には「説明不可能性」から脱することができていません。
驚くべき治癒現象に対する納得のいく説明とは言えず、何だか化かされているような気さえしてしまいます。
「プラセボ効果とは何か?」という哲学的(に見える)問いかけを追求する暇を、誰もが有しているわけではありません。
もっと具体的で分かりやすく、何より納得のいく言い換え案が求められたのでしょう。
思い込みという日常語
「思い込みの効果である」という説明は、日常語を用いた気分の良い(都合の良い)説明であるように思われます。何より、一応の納得感を与えてくれます。
結局、思い込みとは、一応の納得感を得るために説明不可能性を解釈しただけのものです。なぜ思い込んだだけで効果が現れないかと言えば、思い込みという説明がプラセボ効果を便宜的に解釈する方便でしかないからです。
なお、思い込みという日常語を離れ、より科学的な言葉が求められる場合には「平均への回帰」といった具体的で肯定的な説明が納得感をもって迎えられることもあります。
先に挙げた「暗示的効果」を含め、その他様々な肯定的言い換え案が提唱されています。
言い換えによって理解・納得は可能か?
否定的概念に対する肯定的説明の試みにより多種多様な説明原理が生み出され、理解(感)や納得感という価値が提供されています。
どれを取るか、あるいはどれも取らず「わからない」まま抱え込むのか。
もしプラセボ効果を「思い込みの効果だ」と思い込んで納得されている方がおられたら、一度このことを検討してみてはいかがでしょうか。
「合理的な神秘主義」とプラセボ効果
さて一方で上記のような因果律を前提とする否定的概念の肯定的説明が為される中、他方では因果論を超えた理解のあり方を模索する試みもあります。
一例として、安冨歩氏の「合理的な神秘主義」を挙げます。
当社では、プラセボ効果もまた「合理的な神秘主義」によって、ある意味では否定的に理解できるのではないかと考えています。
わからないことは「わからない」
現在でもプラセボ効果研究の主流は、「科学がこの世の理(ことわり)全てを詳らかにできる」ことを前提とする合理主義にあります。
脳神経科学の隆盛と限界が、プラセボ効果の本質を脳内で起こる何かに還元できるという希望を抱き続ける合理的科学者の最後の砦となっているようです。
脳科学、神経科学はプラセボ効果の本体として○○という物質の働きを明らかにし、××という脳部位で作用することを突き止めるはずだ!
測定方法・機器の精度が十分に高まれば…
しかし、プラセボ効果がそうした科学的な記述によって理解されることはありません。
プラセボ効果と呼ばれる現象の本質が創発にあり、世界の「語り得ぬ部分」に含まれているからです。どうしたって「わからない」のです。
科学では分かり得ぬことがあると認めたり、「わからない」物事の原因・由来、あるいは因果を超越した何かとして大いなる力を設定する態度のことを「神秘主義」と言います。
「わからない」けれど、「わからない」からこそ。
「わからない」物事は有用ではない、有効に活用することは出来ない。
そんな風に感じられてしまいます。
しかしながら、「わからない」けれども、いや「わからない」からこそ力を発揮することがあります。その神秘性の存在を信じてみることから生まれる価値があります。
プラセボ効果もまた、そうした神秘の有りように対する態度が効果発現の決定的な要素となるかもしれません。
「合理的な神秘主義」のアプローチ
「合理的な神秘主義」では、「わからない」物事を無くそうとする従来の合理的アプローチをとることができません。
- プラセボ効果とは何か?
- プラセボ効果はどうして現れるのか?
そうした問いかけの答えは、語り得ぬものとして神秘のベールの向こう側にあります。
我々が語り得るのは、それがどうして阻害されるのかに限られます。
- プラセボ効果を阻害するものとは何か?
- プラセボ効果はどうして現れない場合があるのか?
そうした問いかけが「合理的な神秘主義」的アプローチにつながると考えています。
神秘なるもの
さてプラセボ効果にまつわる神秘について長く書いてきましたが、実のところ最も身近な神秘的存在は、あなた自身です。
あなたが生きていること自体や生命現象も、プラセボ効果と同じように、科学や合理性では上手く捉えることができません。
- 神秘的な存在に備わる力としてプラセボ効果を上手く生かしたい
- 不安神経症的な健康観を転換するために必要な、自分の感覚に対する自信や信頼を抱くきっかけとしたい
- 何なら、少子高齢化の進展に伴う社会的・医療経済学的な問題を解決する糸口としたい
当社では、こんな風にプラセボ効果を捉えています。