盲検(単盲検法・二重盲検法)

盲検(単盲検法・二重盲検法)

概要

ことば盲検
よみがなもうけん
英字表記例blind test

意味

あるものと別のものの有効性に差異があることを検証する方法のうち、扱い方など操作の差異をなくして行うもの。

表記について

「盲」と言う漢字は訓読みで「めくら、めしい」と読み、目が見えないこと、あるいは目の見えない人のことを指します。

したがって盲検とは、あるものと別のものを同じように扱うことを目的として、視覚情報を奪ったり見た目を同じくしたりすることによって、視覚から差異を判断できなくさせたうえで行う検証法を指します。

盲検化、マスキング(masking)

盲検にするため視覚情報を奪うことを「盲検化」といいますが、実際には奪うのではなく、目で見ただけでは見分けがつかないように情報を操作・遮断することを意味します。

また厳密な差異の証明においてはこの概念をさらに拡張し、視覚、嗅覚などの感覚に加えて、言語を含むあらゆる情報による認知に至るまで同じくさせることが求められています。

現在でも色や形状、におい、言語など差異の判断に活用されうる情報を遮断し覆い隠すことを「盲検化」と呼んでいますが、字義どおりの視覚的な意味からは外れてしまうため「マスキング(masking、遮蔽化)」が使用されることがあります。

盲検の意義

あるものと別のものについて扱い方など操作の差異をなくし、同じにしたいという要求には、以下のような意義や目的があります。

  • 他者をだます
  • 特定の差異を検証する

特定の差異を検証するとは、「あるものと別のものが違うものだ」ということを確認することです。以下ではこちらの目的に沿って説明します。

差異の対象

盲検について理解するためには、差異に関する理解が必要不可欠です。

差異が設定できるのは、「操作対象」と「操作」です。

また、一般的に、検証したいのは「操作」の差異がもたらす「結果」の差異です。これを有効性や効果といいます。

差異の対象マスク手法
操作対象被験者ランダム化
操作診察、投薬、評価盲検法、プラセボ対照
結果診断結果、検査数値(捏造)

一般的には、「操作対象」についてマスクされ、「操作」の特定部分にのみ差異を設定し、それ以外の部分をマスクして有効性を検証します。

「結果」に差異があれば、それは「操作」の特定部分に設定した差異が原因だと推論できるためです。

なお、人為的に「結果」に差異を設ける行為は、捏造と呼ばれます。

「操作」の差異の対象

また、「操作」について差異をなくす方法には、以下のものがあります。

差異の対象マスク手法
モノ被験薬プラセボ対照
コト想念、言葉、行動盲検法

盲検による証明は背理法

有効性についての推論は、やや込み入っています。

操作Aと操作Bは同じ、はず?

例えば、同じ操作対象に、 ある操作(A)と別の操作(B)を、AとBの両者に差異がないという前提で実施したところ、偶然とは言えないほどに結果が異なっていたとします。

この場合、AとBに差異がなく同じであるという前提が間違っていたと判断し、AとBを違うものだと考えます。操作対象が同じで、なおかつAとBが同じであれば、結果も同じはずだと推論されるためです。

この推論の流れを専門用語では「帰無仮説の棄却し、対立仮説を採用する」などといいます。

操作Aと操作Bを分けるもの

操作AとBの差異はモノとコトの部分に大別されます。モノ自体に差異があり、コトには差異がなければ、モノの差異こそが結果の差異を生みだす原因です。

このような、操作におけるモノ以外のコト部分を同じくする有効性の検証法が盲検です。

盲検化と偽薬

なお、操作におけるコトの部分には以下のようなものがあります。

  • モノの操作方法
  • 試験者や試験対象者のモノに関する言動や想念

したがって、盲検化の前提には、モノの違いを認識させないことがあります。モノ自体が違ってしまえば、モノの操作方法や言動や想念はおのずから異なってしまうためです。

モノの違いを認識指させないにマスク手法としてもっとも簡便なのは、偽薬を用いる方法です。偽薬とは、試験対象の製剤と特徴はそっくりながら、薬効成分を含まないものです。

この方法は偽薬を意味するプラセボということばをつかい、「プラセボ対照試験」と呼ばれます。

臨床試験における盲検

盲検は特に医薬品の臨床試験(治験)で用いられます。

ここから先は、盲検によって医薬品に効果があること、すなわち肯定的な結果を証明する方法を考えてみましょう。

単盲検法(single blind test)

さて、医薬品に含まれる有効成分の有効性を臨床的に示そうとする場合、人為的に設定すべき操作の差異は、モノに関する差異です。

  • 有効成分を含む
  • 有効成分を含まない

このモノに関する差異の設定は、プラセボを対照とすることによって達成されます。

コトの差異をマスクする

プラセボ対照試験に参加する被験者は、有効性を検証したい被験薬を服用するグループと、対照となる偽薬を服用するグループに振り分けられます。

しかし、有効性を検証するために、偽薬を利用してモノの特徴の差異をなくすだけでは不十分です。

治験に参加した被験者が「あなたには偽薬が与えられている」とか、反対に「あなたに飲ませるのは被験薬だ」などと知らされると、コトの部分に違いが出てしまうためです。

これでは、結果の差異の原因を有効成分だけに帰することができなくなってしまいます。

有効成分の有無という人為的に設定された唯一の差異が、被験者に対する実験者の接し方や与えられる言語情報の差異により、唯一性を崩されてしまうためです。

単盲検法は被験者の想念の差異をマスクする

このことを防ぐため、誰が被験薬を与えられ、誰が偽薬を与えられているのかを被験者には知らせないことが必要になります。

このような、試験中に被験者に投与されているのが被験薬か偽薬かを伝えない試験法を、「単盲検法」あるいは「単純盲検法」と言います。

次に紹介する二重盲検法との対応から、「一重盲検法」と呼称される場合もあるようですが、「一が重する」という表現の違和感を拭うことはできず、単盲検法と表記するのが妥当に思われます。

さて、単盲検だけではまだ盲検化が不十分です。

二重盲検法(double blind test)

治験においては、試験実施者として医師や看護師が被験者へ薬を投与あるいは手渡します。

試験実施者の想念

このとき、医師や看護師が「この人には偽薬を与えている」と内心思いながら、またそのことを隠しながら投与した場合に、思いや後ろめたさが表情や態度に現れ、結果的に被験者が偽薬を与えられていることを知る可能性があります。

有効成分の有無こそが唯一の差異という人為的な設定を全うするためには、試験実施者の想念をマスクし、結果的に被験者に対する言葉や行動の差異をマスクできていなければなりません。

評価判定者の想念

また、治療効果を医師が主観的に判定する場合、「偽薬を与えていたのだから、効くはずがないよな…」などと考えていれば、意識的にせよ無意識的にせよ判定を歪めてしまうかもしれません。

こうした状況は、測定機器を用いた客観的と目される判定方法でも変わりません。どれだけ注意しても、評価判定者が持っている情報は、判定に影響すると考えなければなりません。

評価判定者の想念がマスクされていない場合にもやはり、評価という操作には差異があるとみなされます。非言語情報の差異もまた、効果の原因を有効成分だけに帰することを妨げてしまいます。

薬効成分の有無以外の差異は、試験の実施時のみならず評価段階でもすべて排除しなければならないのです。

試験実施者の想念の差異をマスクする

したがって、臨床試験に参加する全ての被験者、試験実施者、評価判定者に対し、誰が被験薬を与えられ、誰が偽薬を与えられているのかを知らせない試験法を採用しなければなりません。

このような試験法を、実施者と被験者の双方が盲となっていることから、「二重盲検法」と言います。

二重盲検法を実施する際には第三者が介入し、試験結果を事後的に解析することになります。

二重盲検法は全ての実験参加者のコトに関する差異やバイアスをなくす手法であり、最も科学的な効果検証手法であると考えられています。

三重盲検法

実は、盲検化は試験参加者を対象とするものだけではなくなっています。

上でみたような自覚的な不正であろうと無自覚的なものであろうと、実験結果の解析者もまた、なんらかのバイアスを持ち込み結果を歪めてしまう可能性があります。

従って、被験者、実験者、および解析者の三者について盲検化・遮蔽化を施した三重盲検法によって出来る得る限りバイアスを排する方策がとられる場合もあります。

解析者の盲検化は、データねつ造などの研究不正を防ぐ意味で非常に重要です。

非盲検(unblinding)問題

さて、盲検化はどのような場合にも適切な手順さえ踏めば達成されるものなのでしょうか?

盲検化が上手くいっているか否かを判定する簡単な方法があります。治験終了後、医師に対しては「あなたが偽薬を与えていたのはどの患者さんだと思われますか?」と尋ねます。

一方、被験者に対しては「あなたは偽薬を与えられていましたか?」と尋ねます。

もし盲検化が上手くいっていれば、正答率はいずれも50%に近くなります。

すなわち、当てずっぽうで当たったのと変わりがない状態です。

非盲検化の現実

しかし、現実の試験では異なる結果が得られることがあるようです。

例えば、正答率が70-80%と偶然とは言えないほどに高くなってしまう場合があります。このような場合には、以下のような何らかの兆候から操作の差異が露見したと考えるのが妥当でしょう。

  • 薬効が被験者の顔貌など見た目を変える
  • よく知られた副作用が現れる
  • 薬効成分の味やにおいなどの特徴がマスクしきれていない
  • 偽薬の見た目が被験薬と異なる

盲検法と言いながら盲検化が破られてしまった状態、すなわち非盲検の問題は第三者による結果の判定をも大きく歪めてしまいます。

非盲検化を防ぐ手立ては、副作用を模した陽性プラセボを用いる、タイミングをずらして全ての患者に被験薬と偽薬が与えられるように試験をデザインするなどが考えられています。

非盲検化判定の困難

ただし、試験の最中に実施者や被験者自身が盲検化が破られたと判断した場合には、実際にそうであるか否かは判断のしようがありません。

明かにモノの違い以外がある場合を除いて、非盲検化の有無を判断できる要素がないためです。

薬効成分を含まないという偽薬の特性は、それを投与された人に変化をもたらさないことを保証しません。偽薬により起こる変化は、プラセボ効果やノセボ効果と呼ばれています。

したがって、変化があることは偽薬でないことを意味しないため、変化自体は非盲検化の判断基準にはなりません。

盲検法導入の歴史

歴史的に見れば、臨床試験によって薬効のエビデンス(証拠)を得ようとする試みは論理の逆転によって生み出されたようです。

もともとは有効性を謳う有象無象の医薬品群から、本当は効果のないまがいものを見出すために統計学が駆使され、二重盲検法のような手法が確立されたようです。

偽薬と比較して被験薬が差異なしと判定されれば、それはニセモノだろうという訳です。

現代ではこれを反転させた背理法スキームに従って薬効評価することを目的に臨床試験が実施されており、日本国内においても1960年代から二重盲検法による薬効評価がなされているようです。

「偽薬である」ことを示そうとした方法論が、「偽薬でない」ことを示すための方法論として転用された事実は、科学史上の画期をなす出来事と言えるかもしれません。

盲検自体のメタな問題

盲検に関する他の問題点も指摘しておきましょう。

二重盲検法(ないし三重盲検法)は、これ以上認知のバイアスを排除できないという意味で、「最も科学的」な試験法であると評価されています。

しかし逆に言えば、二重盲検法によるエビデンスがないものに関しては『「最も科学的」ではない』と評価されてしまうことになります。

医療においてはこのこと自体が問題になる場面もあります。

直接施術の効果は証明できない?

例えば、鍼(はり)を使った治療は日本国内においては健康保険の対象となっていますが、科学的にはその効果が議論の対象となっています。

というのも、「最も科学的」であるところの二重盲検法の試験を実施することが鍼治療においては実質的に不可能だからです。

鍼治療は低侵襲と言えど身体に異物を刺し入れる行為であり、それ自体が治療効果の本質であると考えられるため、盲検法を採用しようとすれば刺されてもいない鍼が刺さったと思い込めるような何かを用意しなければなりません。

また治療を実施する側も鍼を刺したか刺していないのかが分からないことはなく、明確に刺したと実感されてしまうため盲検化は困難です。

一応、偽鍼(ぎしん、にせばり)と言ったものが効果検証のために開発されていますが、それでもなお盲検化の状況には疑問の残るところです。

証明できなければ医療ではない?

こうした状況は鍼治療だけではありません。日本では国家資格制度として確立されている鍼灸あん摩、柔道整復などに加え、広義のマッサージやリラクゼーション施術でも、二重盲検法を採用した検証が難しい場合があります。

もちろん外科手術もその範疇に入ってしまうでしょう。iPS細胞の移植手術だって、二重盲検法による効果検証には適さないように思われます。

これは、なにも身体に直接触れる施術が全て無効であることを示すものではありません。ただただ、二重盲検法という「最も科学的」な方法論が適用しづらいというだけで、有効性を否定するものではないのです。

ここで考えなければならないのは、医療行為の有効性が二重盲検法という科学的検証スキームに縛られてしまうというメタな問題です。

科学に縛られた医療

「最も科学的」の次に来るのは、「まぁまぁ科学的」や「わりと科学的」、「そこそこ科学的」といった中庸な肯定表現ではありません。

「科学的ではない」という否定的表現です。さらに「全く科学的ではない」、「荒唐無稽である」などが控えていますが、大差はないでしょう。

さて、科学的に証明できない医療行為は無効で無用なものなのでしょうか?

二重盲検法を実施できる医療行為だけが有効で有用だと言えるのでしょうか?

二重盲検法に信を置けば、ニセの療法でマスクし難い直接式治療法を取りこぼしてしまうでしょう。反対に二重盲検法を否定すれば、現代科学・医学そのものを否定することにもつながります。

あちらを立てればこちらが立たずのトレードオフ状態は二重盲検法そのものの評価をふわふわと捉えがたいものにしており、だからこそ思案して議論して検討を加える価値のある科学的フレームワーク(枠組み)だと言えるのかもしれません。

統計学的な問題

こうした問題に加えて、「p値」や「有意性」に関する統計解析上の問題点も存在しています。

簡単に言えば…と一言でまとめられないほどには大変に専門的な話題となるため、ここでは割愛します。